本当に、万全は尽くしたか?
妥協知らずのデザインの鬼は
大勝負を託されるスペースの切り札。
頬杖は体にあまり良くないらしい。
しかし、町田幹樹のこの頬杖から、いくつものスペシャルな空間が生まれたとなれば、良しとしたくなる。
町田は、今のスペースで間違いなくデザインの最前線にいる1人だ。
デザインが勝負となるコンペで、この男が出動しても勝てなかったら……仕方ないと諦めもつく。
だれよりも、町田はよく考える。
具体的なコンセプトを練り上げ、形にしては検証し、また考える。
その空間に生まれるであろう、人々の五感、心の機微、経過していく時、あらゆる角度で検証と検討を繰り返し、デザインの完成度を上げていく。
そのあまりの妥協のなさと、「人には興味がない」という発言、クールな外見から、社内でも町田を遠巻きに眺める人もいる。でも、安心してほしい。「2年前からようやく人になった」そうだ。何があったのかは知らない。
町田はもともと医者になりたかった。
医大へ進むかどうか悩んだが、建築の道を選んだ。きっかけは、一冊のポートフォリオだった。
「父は鉄鋼の仕事をしていました。ある日、海外出張から帰ってくると中国のゼネコンのポートフォリオをくれたんです。ドキドキしながらページをめくって僕は、設計を仕事にしよう、と決めました」
そして大学で建築を学び、スペースに入社した。
設計がしたい。でも、なかなか設計に集中させてもらえない。やりたいことを携えて入社した若手が、スペースで味わうジレンマを町田も味わった。
担当クライアントを持ち、営業(進行管理)、設計、デザイン、積算(予算管理)、制作、施工(現場工事)という空間づくりの全工程にチームで携わる。これがスペースの基本ワークスタイルだからだ。
その流れに抗えるかもしれない出来事が2年目に起きた。「Design Lab./デザインラボ」というデザイン専門チームが立ち上がり、メンバーを募った。参加したい!と手を挙げた。が、選ばれなかった。
「その頃は飲み会のたびに吠えていました。部長を捕まえて、なぜ設計をやらせてくれないんだ、と。部長の答えは『5年待ってくれ』でした」
町田は待った。
その間、飲食店を中心に多くのクライアントと仕事をし、面白い出会いも広がった。設計にも注力できるようになり、手応えを感じる仕事も増えていた。
2013年の夏。7年目を迎えた町田は、横っ面を殴られる苦い経験をする。
「ある高級スーパーの新事業、フルーツタルト専門店の店舗設計でした」
それまで食を扱う空間は数え切れないほど手がけてきた。いつものようにきちんと仕事をした。もちろん手は抜いていない。
店舗が完成し果物やタルトが店頭に並べられると、クライアントの社長がやってきて、怒り出した。
「苺の色が悪い!」
照明が良くなかった。
70代のその社長は食材のプロだった。大切な果物たちを最高に魅力的に見せる光を知り尽くしていた。
「コテンパンにやられました。これからも設計でやっていきたいなら、自分はこのままではダメだと思いました。僕らは人のお金でものをつくる仕事です。設計・デザインの専門家をうたっているのに、何の付加価値もつけられず、ただ空間をつくって納めていたらプロでもなんでもない」
設計のプロを自負していた町田は、自分の領域である照明で完敗した。
その年の冬のことだった。
「マッチー、来年からデザインラボでいい?」
かつて参加したくてもできなかったDesign Lab.から声がかかった。
「マジか。と一瞬、心の中で叫びました」
現在に続く、町田の怒涛の日々が幕を開けた瞬間だった。
Design Lab.は、根石武信と木村ユカの2人が立ち上げた、デザインに特化した精鋭チーム。根石はスペースのデザインの根っこを築いた人物で、スペースで働く者は、遅かれ早かれどこかのタイミングで根石のデザイン哲学に触れる。彼の影響を受けた者は少なくない。
根石は言う。「デザインもビジネスです」。
「ビジネスのなかに僕らがやるべきデザインがあります。デザイナーはアーティストではない。よく言われることだけれど、デザインの仕事をしている人間は、つい忘れてしまうことがあるんです。
お客様の目線、エンドユーザーの目線、僕らクリエイターの目線。その3つを何度も何度も行ったり来たりしながら、質を上げていく。どこまでやるかは意地と信念です。質というのは、かけた時間ではありません。
徹底してやり抜き、お客様にとって起爆剤になるようなものを提供する。必要なのは、覚悟です」
町田が、あれほど考えに考える理由がわかった気がした。
ところで、あの時なぜ町田がDesign Lab.に参加できなかったのか?
「まだ揉まれてもいなかったでしょ。痛みを知らないと」
根石はゆっくり大きく笑った。
痛みも知り、思考するデザインの面白みも味わった町田には、今何が見えているのだろう。
「さあ? いろんな巡り合わせがありますから。わかりません」
……。
「ただ、僕はスペースみんなの武器でありたい。攻めたい、取りたい、というプロジェクトやコンペがあったら、特攻隊になります。チームを越えてもっといろいろやってみたいですね」
この男、妥協も愛想もまったくないが、デザインと猫への愛情は深い。
○情報は2019年9月の取材時のものです