大植 健司/ KENJI OHUE
設計事務所を経て、2005年、東京本部入社。横浜を拠点に焼き鳥店や大型スーパーなどに携わり、
5年目に初担当したスーパーサミットが転機に。
9年目にデザイン室へ。
外資系大型生活雑貨店などを手がける。
兵庫県淡路市出身。
大学は文系だった。卒業後、
専門学校に入りデザインを学ぶと、
大植健司は東京にあるデザイン事務所に就職した。
「でも、続きませんでした」
空間デザインや建築デザインを
生業とするための入り口は、
大きく2つに分けられるだろう。
個人規模のデザイン事務所や
設計事務所の「アトリエ系」か、
空間づくりの総合商社ともいえるスペースのような
企業の「インハウス系」に入るか。
いわゆるアトリエ系デザイン事務所で働き始めた大植。
なぜ続かなかったのだろう?
「何もできない1年目から
なんでもやらなければいけない環境で、
毎日朝方まで働きました。
そのうちに、やりたいと思っていたことが
次第にやりたくないことになってしまい。
長く続きませんでした」
そして2社目に選んだのが、スペースだった。
「次は長く働くと決めて入社しました。
スペースはとても多くの社員が在籍しています。
人材の幅が厚くて、年齢を重ねても活躍している人が
たくさんいました。
どんな企業とも渡り合える常識人が多く、
ここならデザインできちんと
ビジネスができると思いました」
26歳でスペースに入社した大植は、がむしゃらに働いた。
「遠回りをしてスペースに入ったので、
遅れをとっている意識があった」と振り返る。
「とにかく入社して3年間は
現場仕事をたくさん経験しました。
壁ってこうやってできているんだ、
天井はこうつくるのかと、
なんとなくしかわかっていなかった基本的なことを、
仕事を通して一つずつ理解して積み重ねていく日々。
忙しかったけれど面白かったです」
デザインや設計だけではなく、
積算(予算管理)や制作・施工(現場工事)まで
幅広く経験し、
実力と自信をつけていった大植は5年目を迎えた。
コンプレックスに感じていた遅れを挽回すべく、
厳しい条件のプロジェクトを担当したいと
上司に申し出る。
厳しい入札案件だったが任せてもらえることになった。
「生まれて初めて食べ物が喉を通らなくなりました……」
自ら名乗りをあげた仕事。
ビジネス感覚と責任感が人一倍強い性格。
数字を残すプレッシャーに押しつぶされそうになった。
スペースでは、担当物件を持つ=独り立ち、を
意味する。
自分が責任者となってクライアントとの窓口に立ち、
最終的に利益を出すところまで
見届けなければいけない。
ビジネスは甘くない。
「自分が担当物件を持つというのは、
これほど大変なのかと思い知りました」
大きなプレッシャーを乗り越え、
空間を納め、数字を残し、ビジネスを成立させた大植。
仕事がますます面白くなった。
その後、主任となり大型生活雑貨店や
洋菓子専門店などの
プロジェクトを次々と納めていく。
9年目には、設計をメインに行うデザイン室を任され、
現在は、設計力を武器に制作・施工まで
請け負うチームを率いる。
「スペースのビジネスは、
売り値と買い値が決まっていない中で、
いかに利益をつくるかという仕組みで
成り立っています。
それを理解した上で、デザインとビジネスを両立させていく。そのバランス感覚がこの仕事には必要です。
僕らが扱う空間もビジネスの舞台です。
クライアントのビジネスのなかのひとつに
デザインがあります。
例えばショッピングモールは、多くの人が集まり、
いまや地域の拠点として
社会インフラ的な役割もありますが、
公共施設ではありません。
たくさんのお店でショッピングが楽しめる空間であり、
ビジネス空間なんです。
商売がよりうまくいくためにデザインがあることを、
忘れてはいけません」
そんなスペースきってのビジネスマンである大植が
「初めて身につけたビジネステクニック」を
教えてくれた。
「コミュニケーションはストレートに限ります。
変化球を投げて様子をみたり、
隠し球を秘めておいたり、
相手と壁をつくってうまくいくことはない。
お互いを出し合って、一緒の方向を向いてやっていく。
直球勝負が自分の性には合っています。
そして、仕事は楽しく前向きに! これが一番!!」