本当に、万全は尽くしたか?
妥協知らずのデザインの鬼は
大勝負を託されるスペースの切り札。

町田 幹樹
MASAKI MACHIDA 2007年入社

頬杖は体にあまり良くないらしい。
しかし、町田幹樹のこの頬杖から、
いくつものスペシャルな空間が生まれたとなれば、
良しとしたくなる。

町田は、今のスペースで間違いなく
デザインの最前線にいる1人だ。
デザインが勝負となるコンペで、
この男が出動しても勝てなかったら……
仕方ないと諦めもつく。

だれよりも、町田はよく考える。
具体的なコンセプトを練り上げ、
形にしては検証し、また考える。
その空間に生まれるであろう、
人々の五感、心の機微、経過していく時、
あらゆる角度で検証と検討を繰り返し、
デザインの完成度を上げていく。

そのあまりの妥協のなさと、
「人には興味がない」という発言、クールな外見から、
社内でも町田を遠巻きに眺める人もいる。
でも、安心してほしい。
「2年前からようやく人になった」そうだ。
何があったのかは知らない。

町田はもともと医者になりたかった。
医大へ進むかどうか悩んだが、建築の道を選んだ。
きっかけは、一冊のポートフォリオだった。

「父は鉄鋼の仕事をしていました。
ある日、海外出張から帰ってくると
中国のゼネコンのポートフォリオをくれたんです。
ドキドキしながらページをめくって
僕は、設計を仕事にしよう、と決めました」

そして大学で建築を学び、スペースに入社した。

設計がしたい。
でも、なかなか設計に集中させてもらえない。
やりたいことを携えて入社した若手が、
スペースで味わうジレンマを町田も味わった。
担当クライアントを持ち、営業(進行管理)、
設計、デザイン、積算(予算管理)、
制作、施工(現場工事)という空間づくりの全工程に
チームで携わる。
これがスペースの基本ワークスタイルだからだ。

その流れに抗えるかもしれない出来事が
2年目に起きた。
「Design Lab./デザインラボ」という
デザイン専門チームが立ち上がり、
メンバーを募った。
参加したい!と手を挙げた。が、選ばれなかった。

「その頃は飲み会のたびに吠えていました。
部長を捕まえて、
なぜ設計をやらせてくれないんだ、と。
部長の答えは『5年待ってくれ』でした」

町田は待った。

その間、飲食店を中心に
多くのクライアントと仕事をし、
面白い出会いも広がった。
設計にも注力できるようになり、
手応えを感じる仕事も増えていた。

2013年の夏。
7年目を迎えた町田は、
横っ面を殴られる苦い経験をする。

「ある高級スーパーの新事業、
フルーツタルト専門店の店舗設計でした」

それまで食を扱う空間は
数え切れないほど手がけてきた。
いつものようにきちんと仕事をした。
もちろん手は抜いていない。
店舗が完成し果物やタルトが店頭に並べられると、
クライアントの社長がやってきて、怒り出した。

「苺の色が悪い!」

照明が良くなかった。

70代のその社長は食材のプロだった。
大切な果物たちを
最高に魅力的に見せる光を知り尽くしていた。

「コテンパンにやられました。
これからも設計でやっていきたいなら、
自分はこのままではダメだと思いました。
僕らは人のお金でものをつくる仕事です。
設計・デザインの専門家をうたっているのに、
何の付加価値もつけられず、
ただ空間をつくって納めていたら
プロでもなんでもない」

設計のプロを自負していた町田は、
自分の領域である照明で完敗した。

その年の冬のことだった。
「マッチー、来年からデザインラボでいい?」
かつて参加したくてもできなかった
Design Lab.から声がかかった。

「マジか。と一瞬、心の中で叫びました」
現在に続く、
町田の怒涛の日々が幕を開けた瞬間だった。

Design Lab.は、
根石武信と木村ユカの2人が立ち上げた、
デザインに特化した精鋭チーム。
根石はスペースのデザインの根っこを築いた人物で、
スペースで働く者は、遅かれ早かれ
どこかのタイミングで根石のデザイン哲学に触れる。
彼の影響を受けた者は少なくない。

根石は言う。「デザインもビジネスです」。

「ビジネスのなかに
僕らがやるべきデザインがあります。
デザイナーはアーティストではない。
よく言われることだけれど、
デザインの仕事をしている人間は、
つい忘れてしまうことがあるんです。

お客様の目線、
エンドユーザーの目線、僕らクリエイターの目線。
その3つを何度も何度も行ったり来たりしながら、
質を上げていく。
どこまでやるかは意地と信念です。
質というのは、かけた時間ではありません。

徹底してやり抜き、
お客様にとって起爆剤になるようなものを提供する。
必要なのは、覚悟です」

町田が、あれほど考えに考える理由が
わかった気がした。

ところで、
あの時なぜ町田がDesign Lab.に
参加できなかったのか?

「まだ揉まれてもいなかったでしょ。
痛みを知らないと」
根石はゆっくり大きく笑った。

痛みも知り、
思考するデザインの面白みも味わった町田には、
今何が見えているのだろう。

「さあ? いろんな巡り合わせがありますから。
わかりません」……。

「ただ、僕はスペースみんなの武器でありたい。
攻めたい、取りたい、
というプロジェクトやコンペがあったら、
特攻隊になります。
チームを越えてもっといろいろやってみたいですね」

この男、妥協も愛想もまったくないが、
デザインと猫への愛情は深い。

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PRIVATE

会社のメンバーたちと毎年越前ガニを食べに福井へ。
越前カニの凝縮された
旨味には
1年分のカニを食べた満足感があります。
高さのある吹き抜けの家を建てました。
写真は引き渡し時のものですが
今も生活感はあまりありません。ものは少なめです。
イオンで出会ったロシアンブルーのミューズ。7歳。
毎晩ふとんに入ってきて、
気が済んだら出ていくところが自由でいい。
毎週金曜の夜に2時間、漫画喫茶に籠ります。
1人の世界に没頭できる時間は必要です。
冨樫義博さんの漫画はよく読みます。
タバコは絶対にソフトケース。
クシャッとするのがいい。
CAMEL→LUCKY STRIKE→PHILIP MORRIS→CASTER。

町田 幹樹/ MASAKI MACHIDA

2007年、名古屋本部入社。
数多くの飲食店に携わった後、
6年目より、
高級スーパーなどの設計を担当。
7年目、Design Lab.に所属し転機。
和食店、料亭、公園観光施設など
数々のデザインを手がける。
新潟県上越市出身。
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